待ち合わせはローソンで

ただの不安な若者です

きみがだいすき

深夜2時。

近所の公園。

向かい合ってベンチに座る男が2人。

 

あなたはなぜこんな時間にこんな場所で

所在なさげに座っているんですか?

あ、でも

同じ気持ちを僕にも抱いていますか?

 

僕は分かりません。

居ても立っても居られなくなって

公園のベンチでお酒を飲んでいます。

 

あんなに人間を忌み嫌い、避けていたくせに

一人で深夜の公園で酒を飲んで

こうやって文書を書いて、

誰かに気付いて欲しいと

か細い声を上げて鳴いている。

 

誰か気付いてください。

僕はいま一人で色々なことを考えていて

誰かに優しくされたくて仕方がなくて

本当に自分勝手だとは思うけど

そんな状態です。

 

人にやさしくできないくせに

何をえらそうに

人にやさしさを求めているんだ?

身の程を知れよ。

と自分に言い聞かせながらも

ああ、誰かに気付いて欲しい。

誰かと繋がりたい。

とてつもなく自分勝手。

人はそんなに都合の良い存在じゃないのに。

 

人にやさしくできないのに

人にやさしくされたいと思う醜い自分を

許すことしかできない弱い自分が

またまた現れてきて

なんかもう、いろいろなことを乗り越えるのが

面倒くさくなって

 

さっさと楽になりたいと

思うようになった

24の秋の夜。

 

音楽は処方箋

ここ最近、心も身体も疲れていた。

 

特に心だ。人間関係だ。

人間関係に疲れている。

 

別に人間関係に何か問題が生じたわけではない。

何も起きないようにうまく取り繕って過ごしている。

それが疲れを生んでいる。

 

優しさ、気遣い、謙遜、遠慮、、、

人間を相手にすると自分に嘘をつきながら

いろんな努力をしなければならない。

 

それが疲れる。

最近はもう、そういう機会が多すぎて

滅入ってしまっていた。

 

どうでもいいから一人でいたい、

その一心で人を避けていた。

 

でも、人を避けてなんとか手にした一人の時間で得られるものは、なんとなくしっくりこないものだった。

 

一人の時間で得たいものは、心の余裕。

でも、必死で人を避けた後に待っているのは得体の知れない焦燥感や不安ばかり。

一人になっても考えるのは他人のことばかり。

 

せっかく避けてるのに自分の首を絞めるだけ。

平日の夜は悶々としていた。

 

なんだよもう結局人間と向き合わないと気持ち良くなれないのか?こんなにめんどくさくてストレスが大きいのに。

 

とはいえやっぱり、一人でいたいのである。

ああ、一人最高。

向こう一週間一人で過ごす権利を与えてほしい。人恋しくなった頃に誰かに会えるような自由さが欲しい。

毎日誰かに会うのは疲れる。疲れる。疲れる。

 

とはいえずっと一人で過ごして時が経っていくのは寂しい、というかもったいない気もする。

もったいない気もするけど、一人でいたい。

 

なんだかもう、時間が止まってほしい。

一人でいる時間が止まっていてほしい。

 

気がすむまで一人でいて、寂しくなったら誰かと会って、めんどくさくなったらまた一人になって。

そんな自由さがほしい。

 

話は変わるけど、今日は初対面の人とフランクに色々と話す機会があった。

銀杏BOYZが好きなエリートだった。

TシャツにBABY BABYと書かれてるのを見た時点で心を開いた。

銀杏BOYZ好きとエリートを両立してるとか、どういうこと!?って感じ。

エリートというレッテルも俺が貼ってるだけなのかもしれない。

銀杏BOYZ好きに社会適合者がいると思えない。

きっと取り繕ってうまくやってるんだろう。

夢で逢えたら演奏してる奴が資本主義社会で活躍できるとは思えない。めっちゃ偏見。

 

この人とは仲良くなれそうだ、と思うと同時に、また一人の時間を侵すきっかけが増えるんじゃないかという恐怖に襲われた。

 

生きづらい。

高校の頃メールってどうやってたっけ?

お盆休みは地元に帰っていた。

 

帰省初日に、中学時代のクラスで

こじんまりとした同窓会があった。

 

同じ高校に通った友達こそいたけど、

半分以上は中学卒業以来、約10年振りの再会。

 

一次会の平均年齢は15歳くらいだったろうか。

 

というのも、何人もの同級生が

子供を連れて来ていたからだ。

 

一次会は半分保育園のお楽しみ会の様相だった。

僕は小さな子供が苦手だったが、

おもちゃや食べ物を介して交流することで

なんとか楽しい時間を過ごすことができた。

 

みんな子供を家に送り届け寝かしつけ、

二次会でようやくお酒を飲んだ。

 

結婚し、子供を産み、

家庭を築いている同級生たちの姿は、

自分よりずっと遠い未来を歩いているように思えた。

 

同い年の女の子が、

子育てとか住宅ローンとかの話をしている。

 

自分なんかいつまでたっても、

大人になりたくない、女の子大好き、

とかそんなことしか考えてないのに。

 

同じ場所で同じ時代に生まれて、
15歳までほぼ同じ環境だったけど、
人生の一つ一つの区切りでとった選択が、
ここまで大きな差を生んでいると思うと、
とても不思議な気持ちになる。

 

みんな大人になって、

自分の本当の気持ちなんか

わざわざ考える暇もなくて、

それでもその日々に

嘘をついてるみたいな様子は

あんまり感じられなくて、

眩しくて愛おしくて、切ない感じがした。

 

このお盆休み、

僕は何人かの人と会って、話した。

 

気のおけない仲の高校時代の親友たち、

久しぶりに会うちょっと気まずい中学時代の同級生たち、

全部分かってるようで分からない、家族たち。

 

関係性の違う人たちだから、

もちろん関わり方も変える必要がある。

 

家族の前で下ネタは話せないし、

中学時代の同級生に人生こじらせた話はできないし、

高校時代の親友たちには辛気臭い話はできないし

 

レベル感に違いはあるものの、

どこかしらでその場に適した自分を作り上げて、

演じる必要が出てくる。

(高校の仲良い奴にはほぼ演じてないけど)

 

久しぶりに会った中学時代の同級生と

東京で遊ぼう!ということになり

いま連絡を取っている。

 

久しぶりに絵文字とか顔文字とかを使って

文面に気を使って、

表面上の盛り上がりを担保しながら

やり取りをしている。

 

ああ、この子に伝えたい。

俺はただの女の子大好きな社会不適合者ですよと。

他人のこととか1ミリも興味ないし、

仕事も全く楽しくないしやりたくないし、

できればいつも部屋で一人で寝てたい人ですよと。

 

期待される社会性をすべてひっぺ返した

生身の醜い人間としての自分を

さらけ出したい。

絵文字なんか使わずに。

 

今はこの衝動が、愛おしく思える。

ちょっと僕が興味を持っているこの子と、

これから関係を深めていけるのだ。

 

嘘から始まって、本当を出していって、

少しずつ深く分かり合っていく。

 

分かり合えたなんて当然半分演技だけど、

半分は信じてもいいんじゃないかと思う。

 

はじめの嘘も含めて、

今目の前の人と近付きたいという、

本当の気持ちなんだと思いたい。

 

その気持ちがかりそめのものだとしても。

 

今このときの自分を信じて生きていきたい。

 

ふたりぼっち

物心ついたときから仲の良い

地元の幼馴染がいる。

 

そいつは大学を出てから東京でフリーターをしていて、

たまに僕と遊んでなんでもない話をする。

 

彼は絵を描くしギターも弾く。

僕は彼のできない勉強ができたけど、

彼は僕のできないことがたくさんできた。

 

彼は今日曲を耳コピして楽譜に落としたそうだ。

8曲も。

 

どれくらい時間がかかるんだろう?

丸一日潰してしまうんじゃないか?

 

僕なら丸一日何かに費やすことはなかなかできない。

こんなことしてていいのか、、

と不安になってしまうからだ。

 

意味があるのか分からないものに時間を使って、

明日が来てしまう、また未来が一歩近づいてしまう、

そんな感覚が怖くて、何かに没頭することができない。

 

そうしてうだうだ立ち止まってる方が比べ物にならないくらい無駄な時間なんだけど、僕はいつもそうしてしまう。

 

彼は、一日中何かをして過ごす。

迷いなく何かをやり遂げる。

 

明日のことなんて考えない

未来に何が待っているのかなんて考えない

 

そんな気持ちで僕も毎日、

思った通りに生きていきたいと思った。

 

そっちの方が振り返ったら

綺麗な思い出も多い気がするから。

 

昨日は仕事で疲れた身体に鞭打って

なぜかボウリングに繰り出した。

 

はじめは早く帰って寝たいと思ってたけど

次第に楽しくなった。疲れたけど。

今振り返ると昨日は本当に良い一日だった。

 

毎日なにかしよう。

70億の世界

大学を卒業したら学校の先生になろう、

と思っていた時期があった。

 

動機はたいしたものじゃない。

というかむしろ不純だった。

 

大人になりたくない、

という想いが最高潮に達した瞬間、

ちょうど職業を選択する時期に差し掛かり、

子供に最も近い場所である学校を

逃げ場所として求めたのだった。

 

教育実習に行って、

ものすごく単純な事実に気がついた。

 

ああ、先生って人間なんだ。

めんどくさいこととか

嫌なことからは

とことん逃げたいし、

生徒と話すのはめんどくさいし、

人前で笑うのは疲れるし、、、。

 

子供の頃、先生は全員が全員、

"先生"という別の生き物だった。

 

弱音は吐かない、

めんどくさいとか言わない、

人を差別しない、

いつも正しいことを言う、

 

そんな存在だと思っていた。

 

今振り返ると、そんなのもう人間じゃない。

 

"ゆとりですがなにか"というドラマで、

小学校の先生役の松坂桃李が、

生徒たちにこう話していた。

 

「大人も失敗するんです。

だから、失敗を許せる大人になってください」

 

恥ずかしながらこんな簡単なことに、

僕は大学を卒業するまで気が付けなかった。

 

誰も完璧じゃないから、

大人も子供も誰かと一緒になって、

手を取り合って生きていくしかない。

 

毎日ひとりで生きているつもりでも、

その生活には必ず誰かが関わっている。

 

それが人間が生き残るために選んだ生き方で、

人間を苦しめる諸悪の根源にもなる。

 

生き残るためには嘘ばかりつかなきゃいけない

そんな世の中が嫌いでたまらないし、

こんなことになるのならずっと子供のまま

正直な気持ちでいられた子供のままで

一生を終えたかった。

 

でも、身体は成長してしまったし

お酒も飲めるようになったし

なんとか世界の一員にならなければならない。

 

今は学校の先生になりたいと思っていない。

それは、やっぱりこの世界を愛せていないからだ。

 

"一生子供のままが幸せだぞ、お前ら"

 

先生になっても、

そんなことしか伝えられない気がする。

 

それは子供にとっても良くないと思っている。

 

子供は、

先の見えない未来を信じて、

限られた今を生きているからだ。

 

大人になったら

プロ野球選手になる、

社長になる、

綺麗な女の人と結婚する。

 

なんの根拠もないけど

そんな未来を信じるだけで

あの頃は今を全力で生きることができた。

 

だから、そんな子供と向き合う大人が

"大人はつまらない" "世界は腐ってる"

そんなことを言ってはいけない

 

たとえ世界は暗かろうが、

人間は汚かろうが、

子供には綺麗な未来を信じさせたい。

 

思い出はいつも最高であるべきだ。

将来への不安はちょっとだけ大きくなってから持てばいい。

どうせその後死ぬまで持つんだから。

 

いつか色々なことを知って、

絶望の淵に立たされても、

そこからが勝負だ。

 

そんなことを言っておいて、

僕は汚い世界を愛せていないので、

まだ先生にはなれない。

 

目の前の誰かを愛するように、

この世界を愛することができたら、

正直に、正々堂々と、

 

"お前ら、世界は楽しいぞ。

だから安心して遊んで、喧嘩して、恋しろ"

 

そう話してみたい。

 

世界を変えることが到底できないなら、

世界を愛するしかない。

 

その瞬間、僕は心から笑っているだろうか。