待ち合わせはローソンで

ただの不安な若者です

高校の頃メールってどうやってたっけ?

お盆休みは地元に帰っていた。

 

帰省初日に、中学時代のクラスで

こじんまりとした同窓会があった。

 

同じ高校に通った友達こそいたけど、

半分以上は中学卒業以来、約10年振りの再会。

 

一次会の平均年齢は15歳くらいだったろうか。

 

というのも、何人もの同級生が

子供を連れて来ていたからだ。

 

一次会は半分保育園のお楽しみ会の様相だった。

僕は小さな子供が苦手だったが、

おもちゃや食べ物を介して交流することで

なんとか楽しい時間を過ごすことができた。

 

みんな子供を家に送り届け寝かしつけ、

二次会でようやくお酒を飲んだ。

 

結婚し、子供を産み、

家庭を築いている同級生たちの姿は、

自分よりずっと遠い未来を歩いているように思えた。

 

同い年の女の子が、

子育てとか住宅ローンとかの話をしている。

 

自分なんかいつまでたっても、

大人になりたくない、女の子大好き、

とかそんなことしか考えてないのに。

 

同じ場所で同じ時代に生まれて、
15歳までほぼ同じ環境だったけど、
人生の一つ一つの区切りでとった選択が、
ここまで大きな差を生んでいると思うと、
とても不思議な気持ちになる。

 

みんな大人になって、

自分の本当の気持ちなんか

わざわざ考える暇もなくて、

それでもその日々に

嘘をついてるみたいな様子は

あんまり感じられなくて、

眩しくて愛おしくて、切ない感じがした。

 

このお盆休み、

僕は何人かの人と会って、話した。

 

気のおけない仲の高校時代の親友たち、

久しぶりに会うちょっと気まずい中学時代の同級生たち、

全部分かってるようで分からない、家族たち。

 

関係性の違う人たちだから、

もちろん関わり方も変える必要がある。

 

家族の前で下ネタは話せないし、

中学時代の同級生に人生こじらせた話はできないし、

高校時代の親友たちには辛気臭い話はできないし

 

レベル感に違いはあるものの、

どこかしらでその場に適した自分を作り上げて、

演じる必要が出てくる。

(高校の仲良い奴にはほぼ演じてないけど)

 

久しぶりに会った中学時代の同級生と

東京で遊ぼう!ということになり

いま連絡を取っている。

 

久しぶりに絵文字とか顔文字とかを使って

文面に気を使って、

表面上の盛り上がりを担保しながら

やり取りをしている。

 

ああ、この子に伝えたい。

俺はただの女の子大好きな社会不適合者ですよと。

他人のこととか1ミリも興味ないし、

仕事も全く楽しくないしやりたくないし、

できればいつも部屋で一人で寝てたい人ですよと。

 

期待される社会性をすべてひっぺ返した

生身の醜い人間としての自分を

さらけ出したい。

絵文字なんか使わずに。

 

今はこの衝動が、愛おしく思える。

ちょっと僕が興味を持っているこの子と、

これから関係を深めていけるのだ。

 

嘘から始まって、本当を出していって、

少しずつ深く分かり合っていく。

 

分かり合えたなんて当然半分演技だけど、

半分は信じてもいいんじゃないかと思う。

 

はじめの嘘も含めて、

今目の前の人と近付きたいという、

本当の気持ちなんだと思いたい。

 

その気持ちがかりそめのものだとしても。

 

今このときの自分を信じて生きていきたい。