待ち合わせはローソンで

ただの不安な若者です

生身の自分を愛してくれるのは血縁だけだ

陽が射した。

まだまだ夢を見ていたいけど、仕方ない。

 

鎧を身に纏う。

暑苦しくて動きにくいけど、仕方ない。

 

そこをどけと言わんばかりに、目の前のおばさんに睨まれる。

僕だってどきたい。仕方ない。

 

いつもの場所でいつものことをやる。

楽しくはない。つらいことばかり。

できればやりたくない。

でもやる。

 

この場所のみんなは、どう思っているんだろう?

不思議でならない。

 

年をとるにつれて、

自分にも、人にも、嘘をつくことばかりになった。

 

それは、年をとるにつれて、

自分の本音が何なのか分かってきたとも言える。

 

本当は昼まで寝ていたい。

本当はTシャツ短パンで出かけたい。

本当は自転車に乗って悠々と風を浴びていたい。

 

でも、生きるというのは、その逆のことばかりなのだ。

 

「やりたくない」とも言えないもので。

「じゃあやるな」と言われるのも怖いもので。

 

なかなか、生きるのは大変だ。

 

 

話は変わるが、僕は好きな女の子に触りたい。

 

好きな女の子はたくさんいる。

全員にくまなく触りたい。

なんとかして。

心を許された状態で。

 

これまで、好きな女の子に触ることができたとき、

僕はどんなだっただろうか?

なんで心を許されたのだろうか?

 

高校時代。

僕は誰よりも勉強ができた。

明るくて、友達がたくさんいた。

 

そんな僕は、好きな女の子に触ることができた。

調子のよかった一時期だけだけど。

 

あの頃の僕を作っていたものは何だろう?

好きな女の子にとって、僕はどう見えていたのだろう?

 

もしテストが赤点だらけだったら、

クラスの隅っこでいつも本を読んでいたら、

僕はその子に触ることができたのだろうか?

 

そもそも、その子に好きだと伝えられたのだろうか?

 

高校という閉じられた環境で、

生徒一人ひとりが色んなキャラ付けをされていた当時、

僕は、自分が好きな女の子に話しかける

権利を得たキャラだと、思い込んでいた。

 

勉強や人間関係が、

人を量る上で何も意味のないものだとしたら、

僕は好きな女の子に触れなかったかもしれない。

 

僕は今、好きな女の子に触ることができるのだろうか?

このまま過ごして、好きな女の子に好きと言う権利が得られるのだろうか?

 

仕事はやりたくない、できない、誰の役にも立たない。

狩りに慣れない子ライオンのように、いつも弱々しく震えている。

このまま30歳、40歳になったら、どうだ?

 

菅田将暉ばりの美顔でない限り、

女の子に相手にされないんじゃないか。

 

そんな不安に襲われたとき、

嘘をついて生きなければ、と思う。

 

やりたくないけど、スーツを着る。

やりたくないけど、頭を下げる。

全く興味のないことに、労力を使う。

 

それで初めて、好きな女の子に触る権利が得られるのではないか。

 

好きな女の子に触りたいという気持ちは、

嘘じゃない。

 

素直な願いをかなえるためなら、

嘘も嘘じゃない。

 

そう思って、明日も嘘をついていく。

 

 

正直言って、やれる気がしない。