待ち合わせはローソンで

ただの不安な若者です

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない

 

朝から尾崎豊の"僕が僕であるために"を

とり憑かれたように繰り返し聞いている。

 

なぜこんなにも繰り返し聞いているのかというと

この曲を聴きながら進めている思考が

とても4分52秒では終えることができないからだ。

 

 

 

"僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない

正しいことが何なのか それがこの胸に分かるまで"

 

 

 

この言葉の真意は分からないが、

自分の解釈のままに読み取るならこれは非常に酷なメッセージだ。

 

 

ただしこれは、パラダイムシフトというほど大げさなものではない。

 

むしろ薄々感じていたことだ。

けれど僕は、そこから常に目を背けていた。

 

 

 

 

 

 

 

最近は、ふと時間があると考えてしまう。

自分の幸せの正体とか、その掴み方だとか。

 

 

そしていつも同じ壁に阻まれ立ち止まる。

「幸せになるための道ならば、絶対に勝ってやる。

でもその道はどこにあるのだ?」と。

 

 

 

 

どこで何をすれば幸せになれるんだ。

どうすれば僕が僕でいられるんだ。

 

 

 

 

1983年の尾崎は、今の僕に痛烈な苦言を浴びせてくる。

 

 

 

 

戦いに勝てば何かが分かる。その先に次の道があらわれる。

その道で戦いに勝てばまた新たな何かが分かる。

 

そうしていつの日か、正しいことが何なのか見えてくる。

その日まで僕は戦いに勝ち続けなきゃならない。

 

 

 

 

 

 

絶望と同時に妙な納得感も得られてしまう。

 

所詮、今の自分が見えている世界も、抱いている価値観も、

一度どこかで戦えばまた変わるのだろう。

それが今よりも良い世界なのか、悪い世界なのかは別として。

 

 

でも、もしも

今の自分が見えている世界の中に

戦いたい場所がなかったら

 

僕達はとある戦いに対する欲や勇気やそういったものを、

果たしてどこから見つけてくれば良いのだろう。

 

 

次に見える世界が美しいのか醜いのかも分からない状況の中で

戦いを挑み勝ちを目指すエネルギーなど生み出せるだろうか。

 

 

 

僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない

 

 

 

どうすれば僕は、僕が僕であるために勝ち続けられるのだろう。

 

 

 

 

                                                                                            written by SUGOH