待ち合わせはローソンで

ただの不安な若者です

ガチで川の流れのように

とある知り合いが、会社の配属で札幌勤務になったようだ。

 

出身は新潟かどこかだっただろうか。

大学に入ってからはずっと東京で、

就職しても東京で暮らすつもりで、

今の会社を選んだそうだ。

 

ところが、入社後に地方勤務の可能性を言い渡された。

今回の勤務地発表前、

彼は「東京配属じゃなければ会社を辞める」

と言っていたそうだ。

 

実際のところ辞めるのか知らないが、

確かに会社の配属ごときで暮らす土地を左右されるのは嫌だなあ、と僕も直感的に思う。

 

ある友人は、

「会社ごときで人生を左右されるなんて」

と話していた。

 

僕もそう思った。

会社なんて人生で考えると

単なる手段なんだから、

そこに人生を侵されてたら本末転倒も良いところだ、と。

 

僕も会社ごときに人生を侵されてたまるか。

自分の人生を大切にしていくぞ。

 

ふと思った。

僕が会社から守ろうとしている人生って、

何なのだろうか?

 

友達?家族?便利な生活?

 

友達だとしたら、今いる友達?

これからできる友達は?

 

便利な生活っていうのは、東京での生活?

たいていのものは手に入って、

たいていの希望は叶うこの生活が、

僕の守りたい人生なのか?

 

なんだかいろいろとこんがらがって、

分からなくなってきた。

 

僕が嫌々働くことで手にしようとしている

その人生とやら。

何を指す言葉なのか、分からなくなってきた。

 

ただ、

僕がこれまで朝嫌々起きながらも通っていた学校、

厳しい練習にも耐えながら通っていた部活動、

決してやりたいことだけではなかった。

 

でもそういった日々は、

確かに今の僕の守りたい部分を形成している。

 

友達もそうだし、楽しい記憶もそうだし、

人から怒られることへの我慢とかも(今も弱いけど)、、、、、。

 

結局、今、ここに守りたい自分の人生なんてないのかもしれない。

 

生きている限り、人生は決して完成することがない。

 

だからこそ、過去も未来も難しく考えないで、

今自分がどうしたいか、どうありたいか、素直な感覚に従って生きていきたいと思う。

 

死ぬときになってようやく、

「ああ、なんか俺の人生はこんな感じだったんだな」と思えるときが来るのかもしれない。

まともな死に方ができたらの場合。

 

今友達と遊びたかったら遊ぶ。

なんか努力したくなったら努力する。

寝たかったら思いきり寝る。

 

結局人生は、その積み重ねでしかない。

 

だから、札幌に行けと会社に言われても

札幌楽しそうだなと思えれば行けばいい。

寂しくても、つらくても、

良くも悪くもない。それが人生になる。

 

まあ、僕は札幌には行きたくない。

さすがに寂しすぎる。

 

どんまい。