待ち合わせはローソンで

ただの不安な若者です

待ち合わせはローソンで

ここ最近ずっと顎が痛くて、

ものを食べるのが苦痛だったから、

昨日歯医者に行ってみた。

 

よく分からないけど台に寝かされて、

口をあんぐり開けられて中を撮影されて、

されるがままみたいな感じだった。

 

俺は顎が痛いだけなのに、

なんで歯茎がどうとか歯垢がどうとか

言われているんだろう?とか思いながら、

美魔女的な院長のおばさんに優しく問診された。

 

薬を処方され、すぐに次の予約を取られた。

おお、その場で次予約すんのね、と思った。

また必ず会えるんですね、美魔女さん。

 

必ず会えるって、なんだか良いのか悪いのか。

また会えるかな〜って思って妄想を膨らませるだけの日々って、なんかいいよな〜と思った。

 

いや、美魔女さんには特に興味ないですよ。

 

 

その後は美容院で髪を切った。

この後映画を見に行くんですと話したら、

彼女と?と聞かれた。

いや、ひとりです、と答えると、

ああ、ひとりなのね、ふふふ、と言われて、

なんだか楽しい気持ちになった。

 

俺は土曜の夜にひとりで恋愛映画見に行くんです。なんかかっこいいでしょう。はっはっは。

 

あと、今年の夏は祭とか行かないの?と聞かれた。

 

祭か。上京してからは一度も行ったことがないかもしれない。

浴衣着て金魚すくいとかするやつですよね。

 

あれ、女の子と行ったことない。

小中高と、いつも幼馴染の男たち数人で

惰性に身を任せて行っていたな。

 

クラスの可愛い女子がイケメンの先輩と歩いてるのを見て、なんだかそわそわしたこともあったな。

 

あの頃は、あーちくしょうなんで俺じゃないんだよと思いながら唐揚げ詰め放題やってた気がする。

 

浴衣の女の子とお祭に行きたいけど、

浴衣の女の子とお祭に行ったらどんな気持ちになるんだろう。

そこがゴールになってしまいそうだ。

 

あの子と浴衣でお祭行きたいなーと思って

妄想しているときが、楽しい。

 

そしてその後付き合って、

同棲して、倦怠期を迎えたりするんだ〜。

 

 

未来というのはとても残酷で、

人に希望を与える反面、

どうしようもない絶望も与えてくる。

 

芥川龍之介は将来への漠然とした不安から、

自ら命を絶ったらしい。

詳しいことは知らないけど。

 

未来というのは憂鬱なものだ。

今の幸せを疑わせてくる。

不安ばかり与えてくる。

 

でも未来のことを考えるとき、

幸せに思えることもある。

 

分かりやすいのは、もう、

さっきの浴衣の妄想だ。

 

僕はもう、あの子と手を繋ぎたい、

いつか絶対繋いでやる、

その想いだけで生きていける勢いだ。

 

それができたら死んでもいい、

そう思いながら寿命を全うできたら、

総じて人生は幸せなんじゃないか、

とかなんとか思ったりする。

 

今日はもう寝る。

明日からまた仕事だ。

 

急な坂があるから、ここまでで大丈夫。ありがとう。

お酒を飲んで大声で歌って、

可愛い女の子にどきどきすると、

悩みとか吹っ飛ぶ。

 

昨日営業の帰り、

後ろを歩いていた女の子たち。

小学校高学年くらいだろうか。

 

"だんごむし だんごむし〜♪"

と声を揃えて歌っていた。

 

何の歌かは知らないけれども、

あの楽しそうな歌声には、

同調も、嘘も、建前も、何もないように思えた。

 

僕は耐えきれなくなって、

思わず脚を止めて、

彼女たちの後ろに回った。

 

その歌声を聴き続けていると、

汗とともに、

僕を守っているいろんな鎧が

溶けて流れていってしまう気がしたのだ。

 

地下鉄の改札を突き破って、

そのままホームに降りて、

ホームも駆け抜けて、

反対側の改札を突き破って、

そのまま地上に出て、

走り続けて、

赤信号の横断歩道を突っ切って、

眩しい日光を反射させる

ガラス張りの建物に

突っ込みたくなった。

 

僕は何も考えず大学に入り、

これといってなんの理由もなしに、

会社に入った。

 

何もかも分かった気になって、

何も分からずあがく毎日を過ごしている。

 

会社では、僕の一生にとって大きな存在になるであろう出会いがあった。

 

いろいろ嫌なことがある。毎日ある。

一緒に嫌なことをしているうちに、

しばらく話していたい人が増えた。

 

僕は自分で自分の人生を選択したことがない。

 

世間体や周囲の期待、

人間としての暗黙の義務感、

そんなものに無意識のうちにとらわれて、

周りと同じような道を歩んできた。

 

そのことに気がついて、

ここ数年はもやもやしている。

 

もやもやしているけど、

これまで流れるままに進んできた道を、

否定したくはない。

 

これまで、僕が嬉しかったこと
これまで、僕が楽しかったこと
幸せだと思えたこと 

 

それは決して、僕が自力で手にした瞬間ではない。

 

小学校に通わなければ、
人と一緒に何かをする楽しみを知れなかった。

 

中学校に通わなければ、
友達と馬鹿な話をする楽しさを知れなかった。

 

高校に通わなければ、 
涙が出るほど人を好きになる気持ちを知れなかった。

 

大学に通わなければ、

こんなに醜い自分に気付いて、それごと愛することもできなかった。

 

複雑な人間社会に放り出されて、

もう今日こそ無理だ投げ出してやる、

とか思ったりしながら、

人並みに苦しんでいる今。

 

でも、大事な人たちができた。

夜風が気持ち良いと思えた。

隣で歌っているこの子と手を繋ぎたいと思えた。

 

生きたいし死にたいし生きたい。

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない

 

朝から尾崎豊の"僕が僕であるために"を

とり憑かれたように繰り返し聞いている。

 

なぜこんなにも繰り返し聞いているのかというと

この曲を聴きながら進めている思考が

とても4分52秒では終えることができないからだ。

 

 

 

"僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない

正しいことが何なのか それがこの胸に分かるまで"

 

 

 

この言葉の真意は分からないが、

自分の解釈のままに読み取るならこれは非常に酷なメッセージだ。

 

 

ただしこれは、パラダイムシフトというほど大げさなものではない。

 

むしろ薄々感じていたことだ。

けれど僕は、そこから常に目を背けていた。

 

 

 

 

 

 

 

最近は、ふと時間があると考えてしまう。

自分の幸せの正体とか、その掴み方だとか。

 

 

そしていつも同じ壁に阻まれ立ち止まる。

「幸せになるための道ならば、絶対に勝ってやる。

でもその道はどこにあるのだ?」と。

 

 

 

 

どこで何をすれば幸せになれるんだ。

どうすれば僕が僕でいられるんだ。

 

 

 

 

1983年の尾崎は、今の僕に痛烈な苦言を浴びせてくる。

 

 

 

 

戦いに勝てば何かが分かる。その先に次の道があらわれる。

その道で戦いに勝てばまた新たな何かが分かる。

 

そうしていつの日か、正しいことが何なのか見えてくる。

その日まで僕は戦いに勝ち続けなきゃならない。

 

 

 

 

 

 

絶望と同時に妙な納得感も得られてしまう。

 

所詮、今の自分が見えている世界も、抱いている価値観も、

一度どこかで戦えばまた変わるのだろう。

それが今よりも良い世界なのか、悪い世界なのかは別として。

 

 

でも、もしも

今の自分が見えている世界の中に

戦いたい場所がなかったら

 

僕達はとある戦いに対する欲や勇気やそういったものを、

果たしてどこから見つけてくれば良いのだろう。

 

 

次に見える世界が美しいのか醜いのかも分からない状況の中で

戦いを挑み勝ちを目指すエネルギーなど生み出せるだろうか。

 

 

 

僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない

 

 

 

どうすれば僕は、僕が僕であるために勝ち続けられるのだろう。

 

 

 

 

                                                                                            written by SUGOH

 

ガチで川の流れのように

とある知り合いが、会社の配属で札幌勤務になったようだ。

 

出身は新潟かどこかだっただろうか。

大学に入ってからはずっと東京で、

就職しても東京で暮らすつもりで、

今の会社を選んだそうだ。

 

ところが、入社後に地方勤務の可能性を言い渡された。

今回の勤務地発表前、

彼は「東京配属じゃなければ会社を辞める」

と言っていたそうだ。

 

実際のところ辞めるのか知らないが、

確かに会社の配属ごときで暮らす土地を左右されるのは嫌だなあ、と僕も直感的に思う。

 

ある友人は、

「会社ごときで人生を左右されるなんて」

と話していた。

 

僕もそう思った。

会社なんて人生で考えると

単なる手段なんだから、

そこに人生を侵されてたら本末転倒も良いところだ、と。

 

僕も会社ごときに人生を侵されてたまるか。

自分の人生を大切にしていくぞ。

 

ふと思った。

僕が会社から守ろうとしている人生って、

何なのだろうか?

 

友達?家族?便利な生活?

 

友達だとしたら、今いる友達?

これからできる友達は?

 

便利な生活っていうのは、東京での生活?

たいていのものは手に入って、

たいていの希望は叶うこの生活が、

僕の守りたい人生なのか?

 

なんだかいろいろとこんがらがって、

分からなくなってきた。

 

僕が嫌々働くことで手にしようとしている

その人生とやら。

何を指す言葉なのか、分からなくなってきた。

 

ただ、

僕がこれまで朝嫌々起きながらも通っていた学校、

厳しい練習にも耐えながら通っていた部活動、

決してやりたいことだけではなかった。

 

でもそういった日々は、

確かに今の僕の守りたい部分を形成している。

 

友達もそうだし、楽しい記憶もそうだし、

人から怒られることへの我慢とかも(今も弱いけど)、、、、、。

 

結局、今、ここに守りたい自分の人生なんてないのかもしれない。

 

生きている限り、人生は決して完成することがない。

 

だからこそ、過去も未来も難しく考えないで、

今自分がどうしたいか、どうありたいか、素直な感覚に従って生きていきたいと思う。

 

死ぬときになってようやく、

「ああ、なんか俺の人生はこんな感じだったんだな」と思えるときが来るのかもしれない。

まともな死に方ができたらの場合。

 

今友達と遊びたかったら遊ぶ。

なんか努力したくなったら努力する。

寝たかったら思いきり寝る。

 

結局人生は、その積み重ねでしかない。

 

だから、札幌に行けと会社に言われても

札幌楽しそうだなと思えれば行けばいい。

寂しくても、つらくても、

良くも悪くもない。それが人生になる。

 

まあ、僕は札幌には行きたくない。

さすがに寂しすぎる。

 

どんまい。

生身の自分を愛してくれるのは血縁だけだ

陽が射した。

まだまだ夢を見ていたいけど、仕方ない。

 

鎧を身に纏う。

暑苦しくて動きにくいけど、仕方ない。

 

そこをどけと言わんばかりに、目の前のおばさんに睨まれる。

僕だってどきたい。仕方ない。

 

いつもの場所でいつものことをやる。

楽しくはない。つらいことばかり。

できればやりたくない。

でもやる。

 

この場所のみんなは、どう思っているんだろう?

不思議でならない。

 

年をとるにつれて、

自分にも、人にも、嘘をつくことばかりになった。

 

それは、年をとるにつれて、

自分の本音が何なのか分かってきたとも言える。

 

本当は昼まで寝ていたい。

本当はTシャツ短パンで出かけたい。

本当は自転車に乗って悠々と風を浴びていたい。

 

でも、生きるというのは、その逆のことばかりなのだ。

 

「やりたくない」とも言えないもので。

「じゃあやるな」と言われるのも怖いもので。

 

なかなか、生きるのは大変だ。

 

 

話は変わるが、僕は好きな女の子に触りたい。

 

好きな女の子はたくさんいる。

全員にくまなく触りたい。

なんとかして。

心を許された状態で。

 

これまで、好きな女の子に触ることができたとき、

僕はどんなだっただろうか?

なんで心を許されたのだろうか?

 

高校時代。

僕は誰よりも勉強ができた。

明るくて、友達がたくさんいた。

 

そんな僕は、好きな女の子に触ることができた。

調子のよかった一時期だけだけど。

 

あの頃の僕を作っていたものは何だろう?

好きな女の子にとって、僕はどう見えていたのだろう?

 

もしテストが赤点だらけだったら、

クラスの隅っこでいつも本を読んでいたら、

僕はその子に触ることができたのだろうか?

 

そもそも、その子に好きだと伝えられたのだろうか?

 

高校という閉じられた環境で、

生徒一人ひとりが色んなキャラ付けをされていた当時、

僕は、自分が好きな女の子に話しかける

権利を得たキャラだと、思い込んでいた。

 

勉強や人間関係が、

人を量る上で何も意味のないものだとしたら、

僕は好きな女の子に触れなかったかもしれない。

 

僕は今、好きな女の子に触ることができるのだろうか?

このまま過ごして、好きな女の子に好きと言う権利が得られるのだろうか?

 

仕事はやりたくない、できない、誰の役にも立たない。

狩りに慣れない子ライオンのように、いつも弱々しく震えている。

このまま30歳、40歳になったら、どうだ?

 

菅田将暉ばりの美顔でない限り、

女の子に相手にされないんじゃないか。

 

そんな不安に襲われたとき、

嘘をついて生きなければ、と思う。

 

やりたくないけど、スーツを着る。

やりたくないけど、頭を下げる。

全く興味のないことに、労力を使う。

 

それで初めて、好きな女の子に触る権利が得られるのではないか。

 

好きな女の子に触りたいという気持ちは、

嘘じゃない。

 

素直な願いをかなえるためなら、

嘘も嘘じゃない。

 

そう思って、明日も嘘をついていく。

 

 

正直言って、やれる気がしない。